君 が い れ ば





夜も更けていつもであれば静寂のみが闇に広がる時分、

しかし近年の熊野の卯月の最初の日はにぎわいを見せるのが

すっかり習慣となっている。

別当の奥方が提唱した「誕生日」という考え方。

当初は別当夫妻がそれぞれで祝うだけのこじんまりとしたものであったが

どこからともなく人から人へと噂話として広がっていった結果、

この日は水軍をあげて祝う一大行事と姿を変えたのである。



奥方たる望美は水軍の業務が停滞してしまうことを恐れ

大丈夫かと不安げに問うたが、

背の君たるヒノエは

「あいつらだってたまには何も考えずに騒げる日があった方がいいだろ。」

と何の問題もない、というように言ってのけたため

それから別当夫妻の誕生日が水軍の一種の祭となったのである。

ある意味これはヒノエにとって望美と過ごす時間をもぎ取るチャンスとして

利用したとも言えなくはないのだがそんなことを少しも悟らせないのが

ヒノエであった。



そして今年も迎えた今日この日。

すでにこの日に振舞われる望美の手料理も贈り物も

そしてそれを受け取るヒノエの幸せそうな笑みも

毎年の決まりごとのようになっている。

しかし何度繰り返されても同じように、いや毎年色を重ねていくように

ヒノエの心に、そして望美の心にも深みを増した喜びを生み出していた。



そうして恒例となった宴に序盤だけ参加したのち

2人は早めに部屋へ戻り2人だけの時間を過ごす。



「今年もすごいにぎやかなお祝いになってよかったね、ヒノエくん。」



振舞い酒、ということで別当邸を解放しているため、

宴のにぎわいは微かであるが聞こえてきている。

縁から喧噪の聞こえてくる方向に視線を向け、

望美はヒノエに話しかける。



「あいつらはこれにかこつけて騒ぎたいだけなんだよ。」

「ふふ、そんなことないよ。

 ちゃんと皆ヒノエくんのこと大好きだから。」



するりと背後に寄ってきたヒノエをその体温で感じ

反射的に安心感から頬が緩む。

先程の皆の言祝ぎが形だけのものとは思えなかったし、

ヒノエだってそれくらいのことは百も承知であろう。

わかっていて敢えてそういう言葉をいうところに

ヒノエの彼らへの信頼感のようなものを感じて

望美は笑みを深くする。

自分とは違った形で結びついているヒノエと彼らの絆は

望美にとって誇らしいものだが同時に少しだけ羨ましいものでもあるのだ。

自分のことながら複雑だ、と望美は少しだけ苦笑する。

それを誤魔化すかのように視線を空に向けた望美は

あることに気付いた。





「・・・今日は月出てないんだね。」

「え?ああ。今日は朔だからね。」



ヒノエの言葉を聞きながら望美はこちらの世界では

月の満ち欠けが暦の中心なのだと

思い出していた。

ちょうど一月で月は満ち欠けを一周させる。



「だから毎年オレの誕生日では月にお目にかかることは

 残念ながらできないってことになるね。」



あくまで何の気なしに放たれている言葉。

けれどその声に寂しさが滲んでいるような気がするのは

自分の勘違いだろうか。

そんな思いに囚われて望美はいつの間にか抱きしめるように

回されていたヒノエの腕にそっと手を這わせる。





「まぁ、月の神様はどう転んでも男神だし、

 オレにはお前っていう満月があるから・・・望美?」



自嘲の色を本人すら気付かないまま微かに微かに滲ませて。

言葉を紡いでいたヒノエは

その感触に気付いたのか途中で言葉を切る。



「月が見えないから。だからほらこんなに星が綺麗に見えるんだね。」



すっと望美が指さす先には満点の星空があって。

常であれば見えないような光の弱い星すら輝いている。



「・・・ヒノエくんみたいだよね。」

「え?」



望美が柔らかく笑えば問いの響きが返される。



「たくさんの人から慕われてて信頼されてる

 ヒノエくんそのものみたいだな、って思って。」



これも偶然っていうか運命みたいなものかもね、

と言いながらヒノエを見上げる。



しかしヒノエからは返事は返ってこない。

そしてその表情は影がかかり判断は難しい。



「・・・ヒノエくん?」



声をかけると同時に背後のヒノエを見上げたままの

あごに手がかかるのを感じた。

そして音もなく唇にぬくもりがもたらされる。



あまりにも当然になってしまったそのぬくもりを甘受しながら

望美はそっと目を閉じる。

触れるだけの口付けが終わると同時に望美を包む腕に

力がこもる。

再びヒノエの腕に触れればヒノエが肩口に顔をうずめるのに

気配で気付く。



泣いている、のだろうか。



少し不安になりながら望美はヒノエの腕を触れる手に

きゅっと力を込める。

ぬくもりからは負の感情は伝わってこないから

大丈夫だと自身に言い聞かせながら。



けれど、耳元でささやかれた言葉にそんな些細な不安は打ち砕かれる。



「また望美に『特別』をもらっちまったね。

 ・・・ありがとう。」



その声、そして言葉は確実に望美に届いたから。

ふわりと望美は微笑む。





君がいるから世界はいくらでも姿を変えていく、のだ。

闇にも光を見いだせる。