ひ と り で に



「・・・・・・おやおや。」



少なからず驚きを含んだ声が漏れる。

しかしどことなくその声音には温かいものが滲んでいて。

自覚のあるヒノエは思わず苦笑する。





ご機嫌伺いに、と望美の部屋へ向かってみれば

ヒノエを迎えたのは縁の柱に身を預けたまま安らかに寝息を立てている

望美の姿だった。





真夏の太陽はここ熊野でもじりじりと万人を焦がす。

天照大神はここ数日とても機嫌がよいらしく、

その加護の素晴らしいことと言ったら

大の大人ですら音を上げたくなるようなものがある。

そんな気温の中でも縁に出れば風も通り少しは過ごしやすい。

凡そ何か考え事をしているうちに夢の世界に誘われてしまったのだろう。



そんな神子姫に視線を置いたまま足音も立てず

近付いたヒノエはすっと隣に腰を下ろす。

昼下がりの日陰で健やかに眠る望美はいたく心地よさげだ。



顔にかかっていた髪をそっと払ってやる。



起きる気配は、ない。





無理もないことだろう。

ここ数日熟睡などできていないようだから。

そう。熊野に入って件の幼馴染と再会してから。



望美の髪を一房己の掌にすくい取ったまま

ヒノエは知らず眉間にしわを寄せる。





きっと、望美は将臣が「誰」なのか知っている。





確かめたことはない。

そもそもこの情報は自分ですら網を巡らせて掴んだものだ。

情報は金にも勝る。それを自分から明かすことは愚の骨頂というものである。

だからこそヒノエはこの情報は自分の胸の内のみに留めている。

九郎はあの性格だからともかくとして、弁慶ですら怪しんではいるものの

確証を持っているわけではなさそうだ。

そんな状況で神子であるとはいえ望美が知っているとは

到底考えづらい。



それでも。

ヒノエは直感的に望美は将臣の素性を知っているのだと確信していた。

その上で望美は誰に打ち明けることなく胸の中に秘め

苦しんでいるのだと。





源氏として参戦している以上

この先に待ち受けるものがなんなのか、望美は理解している。

だからだろう。

再会してからというもの隠してはいるが

ふとした瞬間に苦しみをその顔に浮かべるのだ。





笑顔の合間に見せる憂い顔は恐ろしいほど

魅惑的で思わず抱きしめたくなるほどの力を持っていると

望美は知っているのだろうか。

だとしたら相当の策士である。





自分はその策に見事にはまり

心からの笑顔だけで彼女が彩られることを願ってしまっているのだから。



少しも指にひっかかることなくさらさらと流れていく

望美の髪で手遊びしながらヒノエはそっと目を閉じる。







結局望美が将臣の正体を知りながら何故それを秘めているのか、

何を望んでいるのか、

そういったことを直接問うつもりは毛頭ない。

知りたくないわけではないが望美が話さない以上は

きっと知られたくないのだろう。

だから知ろうとは思わない。

そもそもまだヒノエは熊野の、そして自分自身の道筋を

測りかねている。



状況を見定めるにはまだ材料が足りないのも事実ではあるが

このまま見守り続けられるなら、と思う気持ちすら心のどこかには存在していて。



こんな常の自分では持つはずのない想いに

ヒノエは思わず苦笑する。



こんな考えを持つようになってさえ、いや持つようになったからこそ

この想いに名前を付けることが怖くなっているのだろう。

今はまだ。見えないということにしておきたい。

名前を付けてしまえば後戻りなどできないのだから。





もしかしたらもう後戻りなどできないのかもしれないけれど。





ただ、今はまだ。





その先の言葉は唇を望美の髪にそっと触れさせて飲み込む。







そして望美の体を横たえ自分の上着をそっとかけてやる。



「夢路くらいは守らせてくれるね?」





夏とはいえもうすぐ夕刻を迎えるこの時分、

このまま眠っていては体を冷やしかねない。

けれどヒノエは望美の夢路を妨げる気はさらさらなかった。



そして自分の足を枕代わりにしてやる。



これはほんの意趣返しだ。

心の中で自分以外の男のことに大部分を割く彼女への。





さぁ、目覚めたときに彼女はどんな顔を見せてくれるだろうか。



らしくもなくわくわくしながらヒノエはひぐらしの声を遠く聞き、微笑んだ。